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2006年2月10日 (金)

<「砂の女」と現代の美術>展

 今回は、作家の作品うんぬんというより、展覧会タイトルと展覧会内容の関係の素直な疑問です。

  京都芸術センターで、「砂の女」と現代の美術展が開催されています。この展覧会は、若手の企画者、古川誠氏がたてたコンセプトにしたがって、この古川氏が、若手作家を選んだ展覧会です。

 でも、見た私は、「わかんない???」何故これが、「砂の女」と関係があるの??と展覧会を一通り見て疑問に思いました。会場入り口におかれている展覧会リーフレットによると、「安部公房の「砂の女」をテーマとした作品で本展を構成しようとする意図ではありません(中略)・・・揺れ幅の広い若手美術家の創作活動や予想不可能な展開の面白さに置き換え、「砂の女」の物語になぞらえた展覧会として紹介できるのではないかと考えた・・・」とありました。そうか、もんもんとしている現代美術作家たちを、もがいてもがいても砂地獄からのがれない状況と、照らし合わせているのか・・・と一人納得したものの、それなら、現代の美術をやっている作家はみんなそうじゃない?やっぱり何故この作家達なのだろう?と思ってしまいます。

 一つ一つの出品作品のクォリティーは、決して悪くはないと思うのです。特に澤田知子氏は、昔から、作品の中に何か訴えるようなものがあり、気になっている作家の一人です。が、ひとまとめにして見ると、全作品の空間構成が、あまりにも整然と並んでいて、きれい過ぎるような・・・ただの現代美術展とどう違うのか?なぜ「砂の女」が出てくるのか・・やっぱりわかんないのです。

 一人の企画者が何かのコンセプトで選ぶのはわかるけれど、「砂の女」をキーワードにして、何故、あえてこの作家たちなのか?私としては、そのあたりの説得力が欲しいところなのですが、

 私が昔(高校時代に読んだので、すっかり詳しい内容はおぼえてないけれど)安部公房の小説「砂の女」を読んだときの、あのあまりにも強烈な印象にただ引きずられているだけなのかと自問しながら、それでも、なんだか自分の中ですっきりしないものがあるのです。(私は、その昔、安部公房の本のファンで、彼の小説はほとんど読みました。)

 本日、2月10日付の朝日新聞夕刊には、「・・・どれも、飛び跳ね、わんぱくだ。そして誰もが成功物語を夢見ている。(中略)それは、阿部公房の「前衛」とは趣の異なる輝きに見えた」とありました。さすがに、新聞の美術記者の方と思いながらも、これが、「砂の女」をとりあげた理由?
 昔の前衛は、どろどろしていて、今の若い作家の前衛は、もっと直接的で、さらさらしているという違いをいうために「砂の女」を引き合いに出したのでしょうか?「砂の女」ファンとしては、なんだか安易すぎるような・・。

 うーんやっぱり「砂の女」が出てくる理由とこの展覧会の作品群との関係が、わかんないのです。あまりにも、私にとって、展覧会のタイトルが魅力的過ぎるような・・これも展覧会のキャッチコピーとしてみたら、成功しているような・・
素直に面白い現代美術展だったといえない私なのですが。

 

2006年2月 5日 (日)

「布」に関する展覧会

 今回は、布との関わりを考える展覧会です。

 2月2日から、京都にある「えき」KYOTO美術館では、韓国のポジャギ展が始まっています。ポジャギは、小さく裁断した布を縫い合わせて作ったパッチワークのようなもので、日本の風呂敷と同様の役割を持ち、韓国に伝わっている伝統的なものです。独特のテクニックを使ったとても美しいものです。

 また、3日より、ギャラリーギャラリーでは、「本間晴子個展」EXでは、「山本典子個展」が始まりました。この二人の作家も布を用いた作品です。本間晴子は、ウール、ナイロン混合の布の上に、絵画のように染料で自由に描いたものを裁断し、それを床の上にパズルのように並べた作品を展開しています。一方、山本典子は、いわゆる布による雑貨作品です。白や生成りの麻布を主に使用し、それに手刺繍を施し、ラグや、ブックカバーに仕上げたものを並べでいます。布が、かたや空間構成のアートとなり、かたや生活空間を取り巻くものとなっています。

「布」は、人間が生まれた時に触れるものであり、そして最後にも布にくるまれるように、人間との関わりはとても深いものです。私たち、人間にとって、「布」は、癒されるものの一つであると言えるしょう。また、「布」がアートの世界に入ってくると、様々なメッセージを伝えます。随分前になりますが、東京の広いギャラリー空間で見たドイツの作家Ms. Tina Schwichtenbergの展覧会を思い出します。彼女は、死体がいかにも入っているかのような形をした白い布を、広いギャラリーの床に整然と並べていました。その布の物体のふくらみが、日が経つにつれ、だんだんなくなってくるという作品でした。世界のあちこちで、勃発している戦争による死や、天災による悲しい出来事を考えさせられ、「布」がこんなにも、強いメッセージを伝えるのかとショックを感じた事が今でも、思い出されます。癒しの布と、メッセージを持つ布、どちらにも私の興味はつきず、今では切っても切れないものとなっています。たかが「布」されど、「布」という思いを持っています。

p.s.「布」について、興味のあるエッセイが、京都新聞に掲載されてましたので、ご紹介します。京都市立芸術大学のひろいのぶこさんが「現代のことば」に書かれた2005年8月2日付「布と共に生きる」同年11月29日付「神の布、人の布」です。

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