<「砂の女」と現代の美術>展
今回は、作家の作品うんぬんというより、展覧会タイトルと展覧会内容の関係の素直な疑問です。
でも、見た私は、「わかんない???」何故これが、「砂の女」と関係があるの??と展覧会を一通り見て疑問に思いました。会場入り口におかれている展覧会リーフレットによると、「安部公房の「砂の女」をテーマとした作品で本展を構成しようとする意図ではありません(中略)・・・揺れ幅の広い若手美術家の創作活動や予想不可能な展開の面白さに置き換え、「砂の女」の物語になぞらえた展覧会として紹介できるのではないかと考えた・・・」とありました。そうか、もんもんとしている現代美術作家たちを、もがいてもがいても砂地獄からのがれない状況と、照らし合わせているのか・・・と一人納得したものの、それなら、現代の美術をやっている作家はみんなそうじゃない?やっぱり何故この作家達なのだろう?と思ってしまいます。
一つ一つの出品作品のクォリティーは、決して悪くはないと思うのです。特に澤田知子氏は、昔から、作品の中に何か訴えるようなものがあり、気になっている作家の一人です。が、ひとまとめにして見ると、全作品の空間構成が、あまりにも整然と並んでいて、きれい過ぎるような・・・ただの現代美術展とどう違うのか?なぜ「砂の女」が出てくるのか・・やっぱりわかんないのです。
一人の企画者が何かのコンセプトで選ぶのはわかるけれど、「砂の女」をキーワードにして、何故、あえてこの作家たちなのか?私としては、そのあたりの説得力が欲しいところなのですが、
私が昔(高校時代に読んだので、すっかり詳しい内容はおぼえてないけれど)安部公房の小説「砂の女」を読んだときの、あのあまりにも強烈な印象にただ引きずられているだけなのかと自問しながら、それでも、なんだか自分の中ですっきりしないものがあるのです。(私は、その昔、安部公房の本のファンで、彼の小説はほとんど読みました。)
昔の前衛は、どろどろしていて、今の若い作家の前衛は、もっと直接的で、さらさらしているという違いをいうために「砂の女」を引き合いに出したのでしょうか?「砂の女」ファンとしては、なんだか安易すぎるような・・。
うーんやっぱり「砂の女」が出てくる理由とこの展覧会の作品群との関係が、わかんないのです。あまりにも、私にとって、展覧会のタイトルが魅力的過ぎるような・・これも展覧会のキャッチコピーとしてみたら、成功しているような・・
素直に面白い現代美術展だったといえない私なのですが。
最近のコメント