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2006年6月30日 (金)

渡部睦子「丘になった島ーサバイバル・ネットをいっしょに編もう」

 6月17日・18日山口県に出かけてきました。目的は、秋吉台国際芸術村で開催される、渡部睦子(Chikako Watanabe)「丘になった島ムサバイバル・ネットをいっしょに編もう」の展覧会のレセプションに参加するためでした。
 渡部睦子さんは、京都市立芸術大学卒業で、当時、陶芸を専攻していましたが、大学院在学中の1993年にギャラリーギャラリーで、とても元気のいい個展を開催した作家です。物語性のある焼き物のオブジェによるインスタレーションでした。大学院終了後、オランダに渡り、当初は、ガラスを勉強していましたが、徐々に町の人たちとかかわるパフォーマンス性のあるアートへと興味が移ってきています。

 今回は、オランダのある町の漁師達に、教えてもらった漁網、“「着れて、寝れて、魚がとれる」ー衣・食・住のアミ「サバイバル・ネット」ー(注・タイトルは、展覧会パンフレットより抜粋)”を山口の人たちと制作し、秋吉台国際芸術村で展示するという試みでした。
 山口に約2週間程滞在し、町の人々と町の話題やおしゃべりを楽しみながら、サバイバル・ネットを一緒に編んでハンモックを作り、それらが展覧会会場に並んでいました。また漁村では船に乗せてもらい、自ら編んだ網で魚をとらせてもらったと、楽しそうに渡部さんは報告していました。
 展覧会会場には、漁村でよくみられる、網を干すためにつくられた、竹とロープによる網小屋なるインスタレーションが地元の子供たちの絵とともに構成されていました。

 レセプションは、編みのワークショップに参加した若い女性たちや、子供たちとその家族でにぎわい、ほのぼのとした雰囲気で開催されました。
同時に、渡部さんと時々一緒に旅をして、訪れた先々の地元の民謡を習って歌う、歌旅行家、川辺ゆかさんの音楽ユニット「Emer-エメル」の歌と演奏(テルミンとアイリッシュブズーキ)もありました。山口の山深い夜は、自然の気をあびながら、ゆっくりとほのぼのと更けていきました。

 翌日は、山口市内にある、山口情報芸術センターに行きました。そこでは、「エキソニモ」というアーティストユニットの展覧会が開催されていました。この展覧会は、一口でいうとコンピューターを駆使した最新アートとでも言うのでしょうか?バーチャルイメージや、コンピューターや工具による立体造形(時々、それが電気仕掛けで動いたり)、またお絵書きソフトをつかった作品なども展示されていました。(お絵書きソフトをつかった作品は、結構楽しめましたが・・)
 前日の午後から翌朝まで、自然の中にどっぷり浸っていた私(宿泊棟のある場所は、携帯電話は圏外でした)にとって、なんだか現実に引きもどされたような、あるいはまた近未来的な世界に入り込んだような気分になりました。
これも、アート、前日、渡部さんが展示したのもアート・・今の芸術って何なのだろうという思いが私の中で、ぐるぐる廻っていました。

 両方とも人間の手によって生み出されたもの。一方は機械仕掛け、他方は人間の営みによって自然にうまれた技術から制作されたもの。最近は、メディアアートや、コンピューターを使ったアートが多く、それがいかにも最新の斬新な面白いアートと言われていますが、私が、関心をもつのは、どちらかというと渡部さんが発信しているような人間の手から、または生活から直接生み出されるものたちとアートとの関係です。
 どちらが良くて、どちらが良くないという問題ではなくて、現代のアートの中で、渡部さんのような発信はとても大事なのではないかと思います。
結論は出ないけれども、様々な事を考えながら、山口を後にしたのでした。

2006年6月 1日 (木)

ばんばまさえ展

 京都では、5月16日(火)から28日(日)まで、15軒の現代美術画廊が、集まり、KYOTO ART MAP週間というイベントを企画しました。独自の地図を片手に各ギャラリーを廻り、ギャラリー、いち押しの展覧会を見てもらおうというものでした。ギャラリーギャラリーでは、過去、数回の個展を開催しているばんばまさえ個展を開催しました。彼女は、一貫して、染織の技術による現代的な造形の発表を続けています。

 今回、大阪電気通信大学教授で、フリーで、アートコーディネートの仕事や、執筆にかかわっていらっしゃる原久子さんが、5月24日付けの日本経済新聞関西版 夕刊文化22面に、とても素敵な文章を書いて下さったので、ご紹介したいと思います。
「(前略)  ばんばまさえ個展が、この企画の一環として、ギャラリーギャラリー(京都市中京区実際は、下京区の間違いー)で開催中だ。
 大学で染織を学んだばんば。絞り染めの技法を用いた布で、オブジェをつくり、会場の空間全体を構成する現代的な展示を行ってきた。
 床に無数に並ぶ透明の布の小さなオブジェの間に、昆虫の羽を模した布が、所々に落ちている。布を微妙に異なる何種類かの緑色に染め、キノコのかさのような形に膨らませた展示は、植生している胞子にも見える。羽の形状をした布は、絞り染めをほどこしプレスしたもの。
 淡い色が壊れやすそうな繊細さを醸し出すが、どこでも繁殖できる強さを併せもつといった印象も同時に与える。羽が土に返り、胞子を育てる。肥えた土となるような生態系の循環を想像させるからかもしれない。
 大きな窓から入る自然光や照明の効果は、現代的なクールさを演出する。時間帯によって作品の表情が変化する。だが、伝統的な手仕事の技術でつくり上げられた空間でもある。
 都会の一角にひそかに種を守るために生物たちが生息しているオアシス、とかった小宇宙的な見立てとも取れる。足を踏み入れると、心身共に浄化させてくれる清らかな空気が漂う。頭で考えさせるよりも、先に感覚に訴えかけてくる空間を支配する緊張感も心地よい。
 文明の恩恵を受け、都市生活を送るなかで、ともすると忘れがちとなっている自然の摂理を、再確認できる場とも言えよう。28日まで。」  
 この文章を読まれて、実際にギャラリーに初めて訪れてくれる方々が、多くいらっしゃいました。そしてその人たちの口々から、「本当にオアシスみたいですね」という言葉を頂き、ゆっくりとこの展示を見ておられました。
 

 この文章は、私にとって、数々のキーワードを含んでいます。
たとえは、ギャラリーが、見に来る人たちにとって、都会の中のオアシスとなりえる展覧会を開催する事。伝統的な手仕事による作品が、現代的な空間を表現すること。頭で考えるより、感覚に訴える空間の緊張感、などなど。テキスタイルでの表現が多いこのギャラリーにとって、考えさせられる文章でした。
 

 そして、時間や人の流れがとても速い都会の喧騒の中で、ゆっくりとした時間の流れを感じさせる空間、人々を、ほっとさせるような空間となりえる都会のオアシスとしてのギャラリー。
 常に新しい現代美術の発信を、と思いながら、ともすれば突っ走ってしまいがちな私にとって、作品を人々に見てもらうという事は、何なのだろうという事を、考えさせられるとても素敵な文章に出会えたと思っています。

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